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Ikuya Takahashi

法律がないほど拘束力は強い?解題


In a society in which there is no law, and in theory no compulsion, the only arbiter of behaviour is public opinion. But public opinion, because of the tremendous urge to conformity in gregarious animals, is less tolerant than any system in law. (Politics VS Literature, 1946)

法律が存在しない、つまり理論上は強制力がない社会においては、唯一の行動の決定者は世論になる。しかし世論というのは、群れの中で生きている動物たちにおける同調への激しい衝動のために、どんな法律のシステムよりも容赦がない。



人間というのはgregarious animalsなのだと最近つくづく思う。やはり、一人だけで生活していくことはできない。人間は群れたがるのだ。

『ガリバー旅行記』の第4部では、理性を持ったHouyhnhnms(馬)が理性を持たない野蛮なYahoos(人)と対比される。馬の国では、どの馬も理性を持っており、悪いことをするものは誰一人いない。よって、そもそも法や警察などが要らない、「完璧な」国である。

一見するとユートピアという感じがするが、果たしてそうだろうか。オーウェルは上記の文章で、そこを鋭く突く。法律がないが故に当然こうあるべきだという「空気=世論」が人の行動を支配する。その社会は実は法律で縛られている世界よりも、もっと息苦しい世界なのではないか。

転じて、日本での緊急事態宣言は欧州のような法の拘束力はなく、外出したら罰金が科されたりすることない。それを受けて、日本は法律などなくても全員がまとまって事に当たることが出来る、素晴らしい国民と称賛する人もいる。コロナウィルスの罹患者を減らすために、あるいは他人にうつさないように、全員が最善を尽くすことに異を唱えるつもりは全くない。今は一人一人が自覚を持って行動することが大事だというのも重々承知している。ただ、それが行き過ぎた場合、一つの価値が支配するような息苦しい世界になりはしないか。同調圧力が行き過ぎた場合、「KY」、「忖度」などといった負の側面が頭をもたげてくるであろう。

過度な日本人称賛の声をテレビで聞いた時、ふとオーウェルの『ガリバー旅行記』評論の一節が頭に浮かんだ。

次回もオーウェルの素晴らしい一文を紹介します!

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