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Ikuya Takahashi

プロとしての心構え-『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』by 太田直子を読んで-


同僚から、語学に携わるものとしての必読書として本書を薦められた。

著者の故太田直子氏は字幕翻訳家である。通訳、翻訳の世界の物書きであれば、ロシア語通訳の大御所米原万里の名前をまず思い浮かべるが、著者の歯に衣着せぬ物言い、リズム、歯切れの良さは彼女を彷彿とさせた。何よりも、著者の仕事に対する厳しい妥協のなさに触れ、言葉を生業とするものとして、身の引き締まる思いがした。

本書には、言葉の奥深さ、難しさ、素晴らしさ、全てがギュッと凝縮されている。そして、文章のネジが締められており、一言一言が重い。タイトルにもあるように著者は自分のことを「字幕屋」と呼ぶのがふさわしいと考えている。字幕翻訳は翻訳ではない、という意味がそこには込められているのであろうが、それは裏を返せば、言語に対する真摯な態度の表れである。諸々の理由で十全な翻訳を望むことができないからこそ字幕「屋」なのだが、その呼称の中に、著者のプロの字幕翻訳家としてのプライド、そして字幕への愛が垣間見える。

まず、字幕翻訳の世界について。言語が堪能な人であれば、この字幕は正確に訳していない、意訳をし過ぎていると思ったこともあるだろう。戸田奈津子氏の字幕翻訳デビュー作「地獄の黙示録」の字幕が批判を受けたことは有名だ。ただ、この本を読めば字幕が様々な制限に縛られていることがわかる。例えば、字幕の制限文字数は、一画面につき2行、最高で26文字。1秒で読める文字数は4文字とされており、つまり、長くても6、7秒で画面が切り替わるということになる。そこでは直訳では用を足さないことも多く、分かりやすい適切な意訳が求められる。また、分かりやすさの観点から常用漢字しか使えないなど、字幕の縛りは枚挙に暇がない。以前通訳の先生から言われたことを思い出した。「通訳というのはある言語から他の言語に1対1で置き換えればいいというものではない。良いInterpreter(解釈者)というのは相手のメッセージを正確に捉え(解釈し)、他の言語に移し替え、それを分かりやすく相手に伝えられるGreat Communicatorである」。まさに、字幕翻訳者こそ、その称号を与えられるべきかもしれない。

著者の仕事論も独特で面白い。「どうやったら字幕翻訳家になれるか」、という漠然とした問いに対する答えには、名翻訳家兼エッセイスト岸本佐知子氏の言葉を借りる。曰く、翻訳家たちは、「何となく」、「ひょっこり」、「うっかり」なってしまった人ばかりだ、と。著者の持論はとにかく、「現場に足を運べ」ということである。著者が主宰していた翻訳教室にやってくる優等生の生徒たちももちろん素晴らしいのだが、それよりもとにかく現場に出て字幕の作業に間接的にでも携わった方が身になるのではないかと心の中で思う。現場で顔を見せておくことで、何らかの仕事に繋がっていく可能性があるのだ。彼女自身がその持論を体現している。大学院生の時にアテネフランセでアルバイトをしていた時、コピー1つ取るのにも真摯に取り組んでいたことが認められてか、字幕翻訳を任せられることになる。その後字幕の魅力、奥深さにどんどん魅せられ、結局大学院を中退し、本格的に字幕翻訳の世界に足を踏み入れる。一見計画性のないようにみえるが、彼女が一貫してやってきたことは、現場で汗を流し、顔を出すことで名前を覚えてもらい、小さなことに対しても全力で取り組むということである。偶然や運というのは人生で大きな役割を果たすが、誠実に目の前のことをやり遂げてきたからこそ、運を招き入れることもできるのであろう。タイトルにある通り、世を渡っていくための奮闘がこの本で如実に記されている。それは決して冷房のかかった部屋でクールに「お勉強」することではない。文字通り汗まみれ、泥まみれの奮闘である。

 

最後に、著者の「書く」という仕事に対するプロの心構えにについてはっとさせられた箇所を2つ引用する。

「書くうえで最も奨励したいのは推敲である。自分の書いたものは、しつこいくらい読み返す。誤字脱字だけでなく、文章全体を吟味する。本当にこれで相手にうまく伝わるのかどうか、客観的に検討する」

襟が正される思いだ。「字幕屋」として常に視聴者を意識していたからこそ、一層重みがある。恥ずかしながら、私はこれまで「書く」という作業にほとんど携わってこなかった。ひとりよがりの文章になることなく、常に読者を意識することがいかに大切か、少しずつだが分かり始めている。


「だれに評価されなくとも、こだわりを持ってよりよいものを追求するのがプロというものだ。その気持ちを忘れたら際限なく堕落していく。職業倫理を失って利益や安楽だけを求めるようになったら廃業すべきである」

一点の曇りもない、ストレートな言葉だ。心に刺さった。プロとしての職業倫理と矜恃を持ち、仕事に打ち込みたい。

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