『グウドル氏の手套』井上靖
井上靖の文章は詩的で哲学的である。
新聞記者としての経験もそのスタイルを独特なものとさせている。絶妙な導入から物語に引き入られ、過去に思いを馳せる。
物語の中心人物は曽祖父潔の妾であった、かの。主人公はおかの婆さんと呼び、小さい頃、孫同然のようにして育てられた。時は明治である。そのかのにとって忘れられない二人の人物がいる。潔の師匠であった医学会の大物松本順、そして一度だけ会ったことのある外国人グウドル氏である。物語は長崎で展開する。長崎の旅館で偶然見かけた松本順の書。そして、外国人墓地で目にしたグウドル氏のものと思われる墓。この二つの偶然の邂逅によって、主人公は心の中にあったかの像を再構築していくことになる。ある土地を訪れることで、また、情報を得ることで、人物像に様々な側面を足していき、その人物が立体となって新たに立ち現れてくる。
「墓石には例外なく神聖なる記憶といった文字が彫られてあったが、既にその記憶すら失くなってしまった人物に対する私たちの心の動きには、むしろ浮き浮きとしたものさえあるようであった。」
横浜外国人墓地に行ったことを思い出した。イギリスから、フランスから、海を越えてはるばる日本にやってきた外国人の墓を見、異国の地で埋葬されている人物の人生に思いを馳せた。神聖なる記憶、通常であれば家族が記憶するものであろうが、異国の地であれば、墓守をする家族もいないであろう。孤独に、静かに埋葬されている。その人が日本へ何をしにきたのか、そして何を成し遂げたのか(あるいは成し遂げなかったのか)、その一個人の歴史をこれから紐解いていく高揚感はよく分かる。
松本順と潔と共に大きな会合に出かけていったかのは、中に入ることは許されず、外で待つことになる。寒いからといって手套を貸してくれたのが、グウドル氏。世間が芸者上りの妾である自分に冷たい目を向ける中、一人の人間(女性)として接してくれたのが、松本順とグウドル氏であったのであろう。その手套を終生大事に取っておいたことからもその喜びが推し量られる。同時に、手套は自分の立場、正妻ではない立場というものを自分に確認させるものとしての役割を担っていたのではないか。
明治の時代、30年余りを近所の白い目をものともせず、自分の心情に正直であったかの。手套は嬉しさ、苦さ、誇りがないまぜになった自分への勲章であったかもしれない。
“Mr. Goodall’s Gloves” by Yasushi Inoue
This story is partially autobiographical and its central theme is memory. The protagonist goes to a famous restaurant in Nagasaki, where he happens to find a calligraphy written by Matsumoto Jun, whom her partner truly admires. Subsequently, in a foreign cemetery, he comes across a familiar name “Mr. Goodall”. These two serendipitous encounters make the protagonist ponder on his “Grandma Kano”. Because Kano was a former geisha and mistress of the protagonist’s great grandfather, people around her looked down on her. Matsumoto and Mr. Goodall were the only ones who interacted with her with respect. One day, she goes to a gathering with her partner, but is not allowed to enter the building. There, Mr. Goodall lends her his gloves because it’s cold outside. She cherishes the gloves through her entire life, which could represent the mixture of respect, the position she’s in, and pride. This story made me think of how certain things would be remembered and how impactful one small act could be to a person. Inoue’s prose is evocative and philosophical. The translation by Michael Emmerich was really good too.
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