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Ikuya Takahashi

『エクソフォニー』多和田葉子


本とパンとコーヒー

新天地ベルリンで読むのにこれほど適した本はないだろう。母語の外に出るとはどういうことか、外国語で文章を書くというはどういうことか、アイデンティティの核心にある言語とは何なのか、色々と考えさせられた。


「わたしはA語でもB語でも書く作家になりたいのではなく、むしろA語とB語の間に、詩的な峡谷を見つけて落ちて行きたいのかもしれない。」

「詩的な峡谷」、素敵な表現だ。ある言語とある言語の間を行ったり来たりすることで、何か新しいものを発見する。大事なことは言語の道具としての効率性ではなく、むしろ、言語間にふっと現れる効率とはかけ離れた割り切れない詩的な世界なのだろう。本当の豊かさはその峡谷にあるのかもしれない。


「わたしはバイリンガルで育ったわけではないが、頭の中にある二つの言語が互いに邪魔しあって、何もしないでいくと、日本語が歪み、ドイツ語がほつれてくる危機感を絶えず感じながら生きている。放っておくと、わたしの日本語は平均的な日本人の日本語以下、そしてわたしのドイツ語は平均的なドイツ人のドイツ語以下ということになってしまう。その代わり、毎日両方の言語を意識的かつ情熱的に耕していると、相互刺激のおかげで、どちらの言語も、単言語時代とは比較にならない精密さと表現力を獲得していくことが分かった。」

外国に暮らして3年目になるが、この感覚は非常によくわかる。日本語が錆びついてしまうのではないかという不安はいつでもある。この一節に救われた気がした。意識して、かつ情熱を持ってその言語を耕していくこと(言うは易し、行うは難しだと思うが、、)で、両言語の精密さと表現力が磨かれるという。残念ながらまだこのような境地に至ったことはないが、多和田さんの言葉なので、大事にして、少しでもこのアドバイス通り、言語を耕していきたいと思った。


「わたしが自分から一方的に作った文章は文法的に正しくても、理屈だけで組み立てたものであるから、音楽的流れはなかった。そのうちに、だんだん相手の言っていることが、すいすい耳に入ってくるようになってきた。それは、個々の単語や文節が聞き取れるようになってきたということの他に、全体の流れが音楽的につかめてきたということだろう。」

中国語を学んでいる時に、全く意思疎通が図れず、苦労したことを思い出した。そうか、教科書の中国語を杓子定規に使っていたからこそ、コミュニケーションが取れていなかったのだと思い至る。音楽的に言語を捉えること。テスト偏重の日本の英語教育においては、非常に重要な視点であると思う。 全く理解できないドイツ語のシャワーを浴びながら、多和田葉子の含蓄ある文章を読む。力をもらった。

 

“Exophony” by Yoko Tawada This is an essay written by Yoko Tawada, who reflects on varied themes on language: what it means to be outside the world of your mother tongue; what it means to write in a foreign language; what is language which is at the core of our identity. Tawada writes that what she wants may not being able to write in two languages (Japanese and German) but finding some poetic valley between the two languages and falling into it. I really liked the expression of finding “some poetic valley” and subscribed to the idea that by oscillating between two languages we can find something substantial. Another point I found quite intriguing is her emphasizing its musicality of the foreign language. Even if you have learned vocabulary and grammar of the language, unless you capture them in its musicality, you wouldn’t understand the meaning properly. With Tawada’s keen observation of languages being scattered around, this essay provided me with a wonderful opportunity to immerse myself inside her unique language world.

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