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Ikuya Takahashi

“The Emissary” by Yoko Tawada

『献灯使』多和田葉子


多和田葉子は稀有な作家である。早稲田大学でロシア文学を専攻後、1982年から在独。ドイツ語でも小説を書き、言葉を越境するエクソフォニー作家の代名詞的存在だ。後天的に身に付けた言語で小説を書く超人技もさることながら、言語の可能性に関しても大きな希望を与えてくれる。以前彼女の新書を読んで、言葉に対する研ぎ澄まされた感覚、一つの単語から連想される豊かなイメージに感銘を受けた。今回は、2018年に全米図書賞(翻訳部門)を受賞した『献灯使』を読了した。


特に印象に残った点を3つ挙げる。1点目は主人公と場面設定の独特さである。主人公は身体が弱く自分で歩くこともままならない「無名」と、100歳を超える曽祖父義郎である。日本は鎖国状態で、外国語を使うことは禁じられており、東京は廃墟と化している。無名は「献灯使」となり、外国に派遣されることになる。屈強な肉体を持つ曾祖父と体の弱い曾孫の対照が鮮やかであり、曾孫のために全身全霊を傾ける義郎と無名との間に存在する固い絆に心が熱くなる。


2点目は、やはり言葉である。この小説では、日本語の語彙がどんどん失われていく。「迷惑」と「アリガトウ」は死語になっている。義郎は小説家であり、使われなくなった単語でも頭の中に入っている。小説家は言葉を紡ぎ、言葉を記憶する。多和田葉子の作品を読むと言語とは何か、言葉とは何か、否が応でも考えさせられる。


3点目は、世代を超えた曾孫への期待と希望。「もはや未来はまるい地球の曲線に沿って考えるしかないことは明白だった。立派そうに見えても鎖国政策は所詮、砂でできたお城」なのだ。無名が「献灯使」になることに希望が託される。空海が遣唐使として9世紀に西安に渡ったように。外国に行くということ自体、自分の価値観が異化される経験に他ならない。まるい世界で重要なのは「これまで百年以上も正しいと信じていたことをも疑えるような勇気」なのであろう。


この小説で描かれる荒廃した都市のイメージは東日本大震災後の風景に着想を得ているという。荒れ果てた世界の中で一筋の光が差し込む。震災から10年目の節目を迎える今、じっくり読みたい作品である。



 


“The Emissary” by Yoko Tawada


Tawada is an exophony writer who composes works both in German and Japanese. This story was awarded the National Book Award in 2018.


The story unfolds itself in a deserted Japan, where foreign languages are forbidden to use and Japan is closed to the outside world. The protagonist, Mumei, which means “no name” is a teenager who is born so weak physically. He represents hope and is chosen as an emissary.


What stands out in this story is the relationship between him and his great-grandfather (Yoshiro), who is over 100 years old and a writer. As opposed to Mumei’s inherently weak body, Yoshiro has a stout body which enables him to work continuously for Mumei. Their bond is so strong that they are almost inseparable. It would be difficult not to be touched by his dedication to Mumei.


Another notable point is the description of the language. Vocabulary disappears gradually. Throughout the story, you are made to think about the language and its significance and fragility, of which Tawada is always acutely conscious.


Since today marks the 10th anniversary of the Great East Japan Earthquake, which partly prompted Tawada to write this story, it is worth another read and attention.


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