代表インタビュー
「対話」できる人材とは?
ピンチをチャンスに変える
「ika.異化」設立までのストーリー
1983年生まれ。20歳の時に交換留学生として初めて海外の地を踏み、異文化交流の奥深さに触れる。日本の文化や歴史に対する知識を高める必要性を実感し、通訳案内士の道へ。その後、外務省外郭団体の通訳を経て、英仏留学を経験。帰国後、日米会話学院の英語講師となる。
IELTS、TOEFLなどの試験対策講座、通訳者養成プログラム、法人研修など幅広く担当。学生から社会人までの多様な層を対象に、大学院留学関連のプライベートレッスンも数多く実施。大学における留学を見据えた学術英語クラスの企画・編成、多国籍講師チームのマネジメントにも携わる。
趣味は旅行で、今までに35カ国を訪れる。
ika.異化代表 Takahashi Ikuya
高橋郁弥
目次
多様な文化の人たちが集まってお互いの文化に触れることができるような、寺子屋的な学校を作りたい
− それまで勤めていた東京の老舗語学学校を辞め、「ika.異化」を立ち上げた理由は何でしょうか。
高橋:実は、オンライン英語講座を立ち上げようと思って離職したわけではないんです。「独立おめでとうございます!」とよく言われるのですが(笑)。元々は、海外で教えたいと思って前職(日米会話学院の専任講師)を離れました。日米会話学院は語学学校の中で一番歴史があり、講師業だけではなくマネジメントも任され、非常にやりがいを感じながら、6年間研鑽を積みました。その一方で海外で多国籍の人たちに対して教えたい、自分のティーチングの幅を広げたいという思いが日に日に強くなり、退職することを決意しました。妻も海外志向が強く、以前から何故あなたは日本にしがみついているの?と言われていました(笑)。36歳という年齢も考え、今やらないと後悔すると思い、妻と話し合った結果、2019年12月に、3月末で離職したい旨をお互いの会社に伝えました。2020年の4月には海外に移住する予定でした。
− 12月というとコロナウイルスの流行前ですね。
高橋:はい、コロナウイルスで移動が制限された影響で、当初予定していた計画を変更せざるを得なくなってしまいました。ただ、会社は3月末に退職してしまった。夫婦二人とも、一時的に無職の状態になってしまいました。笑えないですね。正直当時はかなり沈んでいました。ただ、その時偶然ラジオで聴いた歌の英語の歌詞に励まされたのを覚えています。 “I’m never gonna stop the rain by complaining”.(文句を言ったところで雨は決して止まない)という一節でした。暗くなっていても何も解決しない、今やれることをやるしかない、と背中を押してくれました。音楽の力は凄いですね。
二人とも時間だけはあるので、今すべきことは何なのか、毎日話し合いました。そこで、そのやりとりの中で出てきたのは、以前何気なく話していた寺子屋構想でした。将来、色々な文化の人たちが集まってお互いに教え合う寺子屋的な学校を作りたいね、と二人で話していたのです。そうだ、これを具現化しよう。寺子屋のイメージを核にしながら、オンラインで英語講座を始めるところからプロジェクトを始めました。ちょうど同じ頃、偶然、以前教えていた学校の受講生から「オンラインで授業を続けて欲しい」という連絡をもらったこともきっかけになりました。様々な対話とタイミングが重なって、「ika.異化」プロジェクトにつながりました。
色々な書物や世代を超えた出会いや異文化との出会いを通して、新たな視座を獲得し、今まで当たり前だと思ってきたことに対して自分の考えが
広がっていく
− 「ika.異化」の名前の由来について詳しく教えてください。
高橋:異化というのは異なるに化けると書きます。少し怪しい感じがするかもしれません(笑)。「私たちについて」のページで説明していますが、異化というのは元々ロシア語のostranenieという言葉に由来しています。ロシア人の文学理論家たちが、ostranenieという言葉を使って芸術の意義を次のように定義しました。自動化されて日常化されたものに新しい視点を与え、非日常的なものにし、そのもの自体を「直視」し、生の感覚を抱かせること。例えば、ゴッホやムンクの絵を見た後は、今まで見えていた風景が新しく見えるかもしれません。卑近な例を挙げれば、誰かに恋をすると今まで通っていた何気ない道もパッと明るく見えるようになったりした経験はありませんか?そういう現象が異化と言えるかもしれません。
この異化という言葉に出会ったのは大江健三郎の著作を通してです。私は以前から大江健三郎の熱心な読者なのですが、この異化というコンセプトが強く心に刻まれており、プロジェクト名を「異化」としました。
「ika.異化」プロジェクトでは、色々な書物や世代を超えた出会い、異文化との出会いを通して、新たな視座を獲得し、今まで当たり前だと思ってきたことに対して自分の考えが広がっていくような活動をしていきたいと思っています。
− 「ika.異化」で大切にしていることを教えてください。
高橋:「ika.異化」プロジェクトは3つの柱があります。「主体性」「言語技術」「教養」です。「ika.異化」では、この3つの力を備えた「対話」ができる人材を育成します。私たちが考える「対話」できる能力とは、相手の立場、考え方を尊重しながらも、自分の意見をしっかり持ち、正確に伝えられる能力です。
− 3つそれぞれについて詳しく教えてください。まずは「主体性」とは?
高橋:「主体性」というと積極性のように感じられるかもしれませんが、私たちが考える「主体性」とは、自分の頭で考え、自分の言葉で、自分の思いを伝えていくことです。
私自身の経験ですが、20歳でイギリスに留学した際、議論中心のチュートリアル(※1)の授業で全く発言できなかったのです。その時に先生に言われた言葉を今でも憶えています。「君が発言しないのはここにいないのも同然だ。ゼロだ。むしろ邪魔だ」議論に貢献することが求められているのに、なかなかイギリス人たちの議論に英語で切り込んでいけない。発言したいのに出来ず、歯痒い思いを何度もしました。そのようなことが重なって、どんどん遊びの方へ逃げてしまいました。気づいたらイギリスに留学しているのにスペイン人に囲まれ、毎晩のように飲み歩いていた(苦笑)。29歳の時に再度イギリスの大学院へ留学した際には、この時のリベンジをしようと、毎授業で必ず1回は発言すると決め、実行しました。この時に、どんな意見でも自分の考えを伝えることの重要性を再認識しました。
また、大江健三郎は著作の中で、アメリカに行った時にエドワード・サイードやマサオ・ミヨシなどの英語が堪能な人たちに囲まれて、自分の英語力が低いということは自覚しつつも、英語という外国語で不完全でも発信することで、「私はここに今生きている、日本人を表現している」(※2)と感じることがあったと書いています。この文章に私は非常に感銘を受けました。「ika.異化」では、完璧ではなくても、自分で考えて自分の意見を伝える力を養っていきたいと考えています。
※1:チュートリアルとは:博士課程の学生が主導する、講義内容に関する議論の授業のこと。イギリスの大学教育では講義にチュートリアルが伴う
※2:大江健三郎、柄谷行人(2018)『大江健三郎 柄谷行人 全対話 世界と日本と日本人』講談社
− 2つ目の「言語技術」とは?
高橋:言語技術の習得で重要なことは2つあります。
1つ目は、正確に文脈やニュアンスを読み解く力です。4技能(リーディング、リスニング、スピーキング、ライティング)の中で私が最も重要視しているのが、リーディングです。自分が読んで理解できないものは、聞こえてきても理解することはできません。4技能全ての土台になるのが読む力です。リーディングというと単語と文法の力であると考えられがちですが、単語や文法を知っていても、正確に文章を読み解けるというわけではありません。正確な文章理解には、文脈、文化的背景、言葉の持つニュアンスなどが非常に重要になります。例として、最近授業で扱ったイギリスのThe Economist 紙からの文章を紹介します。
“In such circumstances, the economic basics trump more complex issues when it comes to politics; those in Northern Europe cannot afford to care about other topics” (The Economist, 2020, May 6).
この文章を正確に理解するには、文脈と“trump”という単語の持つニュアンスが鍵になります。まず文脈です。この文章の前の箇所で、イタリア、スペインにおける失業率の高さの話や環境問題などが出てきます。そこから、“the economic basics”は経済的な基盤、つまり、仕事があるかないか、“more complex issues”は環境問題のことを指していることがわかります。そして単語に目を向けると、“trump”という単語は A trump B で、A が Bに勝るという意味です。更に、“trump”という単語でトランプ大統領のことを想起した方も多いのではないでしょうか。ご存知のとおり、トランプ大統領は環境問題には全く積極性がなく、雇用確保を最重視しています。この単語は、現在のアメリカの状況にも合致するように意図的に選ばれたのだと思います。上記の文章は、正確に文章を理解するには、単語や文法だけでは不十分で、前後の文脈、背景知識なども重要になってくるといういい例かと思います。このことは何もリーディングに限らず、スピーキングやライティングでも全く同じことが言えます。コミュニケーションでは、誰に向かって話しているのか、書いているのかで、文章を変える必要があります。
言語技術の習得で重要なことの2つ目は、反射的に即座に言語が出てくるかどうかということです。英語には「3秒ルール」というのがあって、ある話題を振られた時に3秒間沈黙が続くと別の話題に話が移行してしまうというものです。よって、答えがわからない時でも無言ではなく、“I'm not sure. What do you think?”で返した方がまだましであるとよく言われます。どんな話題でもすぐに答えを発信することが重要な場面も多々あるでしょう。以前勤めていた学校が通訳者・翻訳者養成校でもありましたので、英語⇄日本語を間髪入れずに行ったり来たりするトレーニングに重きを置いていました。私の授業ではそれを踏襲し、日本語という母語を使い、英語から日本語、日本語から英語へとぱっぱっと切り替えていく手法を使うことで、英語を即座に口を衝いて出るようにしていきます。
− 3つ目の「教養」とは?
自分の頭で考えて自分の言葉で表現することができる(主体性)、正確に、そして即座に言語が口を衝いて出てくる(言語技術)、そこに深みや奥行きを足すのが3本目の柱、教養です。教養は英語でいうと、cultivation、まさに畑を耕していくようにコツコツと磨いていくもの、その結果、その人から滲み出てくるものと言ってもいいかもしれません。ただ、それではあまりにも曖昧です。教養の定義は人によっても、時代によっても異なります。例えば、私は大学の時は英文学を専攻していたのですが、ある大学教授にとっては、教養はシェイクスピアであり、聖書でした。ただ、今の時代にそれだけをもって教養と言えるのかどうかは疑問です。大学院卒のイギリス人やアメリカ人たちと対話する時に求められる「教養」と、ビジネスパーソンがインドネシアや中国の人たちとやり取りをする際の「教養」は趣が異なってくることと思います。
そこでここでは少し乱暴かもしれませんが、私たちが考える「教養」を次のように定義したいと思います。それは複眼的に物事を捉える力です。例えば、globalizationという言葉1つ取っても日本だと何か世界的になるような感じで良いイメージを持つ人が多いかもしれません。しかし、フランス語の同じ言葉でmondialisationというと、世界が均一化すること、時にはアメリカ化することを意味し、ネガティブな意味合いが強い言葉となります。グローバルという言葉にはプラスとマイナスの両面があることを知ることが重要です。複眼的に物事を捉える力というのは、例のように、他の人の立場に立って物事を考えられるということ。そして、自分の立場を客観的に見ること。これはいわゆる批判的思考能力(critical thinking)と言われるものですよね。さらに、他の人の立場になって考えられるというのは人間にとって非常に重要な共感する力となります。複眼的に物事を見るというのはそういった色々なものを含みます。
今でも忘れられない質問の1つに、ロンドンに留学していた時にされた質問があります。 それは“How many civilizations do you have in you?” という問いでした。皆さんだったらどう答えるでしょうか?文明=その国や文化の土台となっているもの、つまり、思想、歴史、言語、様々なものを含むと思います。言い換えれば、価値観であったり、物の捉え方といってもいいかもしれません。1つの価値観で物事を見ていたのでは、物事の本質に迫る事は難しくなるかもしれません。少なくとも色々な角度から、あるいは物事を俯瞰して見ることから、物事の本質は立ち現れてくると思うのです。例えば、新聞を例に挙げれば、同じニュースであっても、海外の新聞社やイギリス人のジャーナリストの視点は日本の新聞とは異なるでしょう。自分とは全く異なる視点を得ることで、物事が違って見えたり、なるほど、裏にはこういう事情があったのかと分かることができます。あるいは、「ika.異化」には、イギリスの作家ジョージ・オーウェルを精読するクラスもありますが、オーウェルこそ徹底的に真実とは何かを追求した人で、彼の社会批評精神は今でも色褪せることはありません。オーウェルの著作と格闘することで、批判的思考能力を鍛えることもできます。
− 「ika.異化」ではその3つの柱を大切にしているのですね。最後に「ika.異化」で目指すものを教えてください。
今まで述べた主体性、言語技術、教養の3つを習得し「対話」できる人になって欲しい。そこで初めて様々なバックグラウンドの人たちと対話ができる。その対話によって時にはぶつかることもあるでしょう。あるいは、自分の意見を言ったことで相手を傷つけてしまうことになるかもしれない。しかし、真の理解や友情というのは時としてぶつかり合うことを必要とすることもあります。コミュニケーションに誤解は付きものです。妻との日本語での会話ですら、毎日誤解だらけなのですから(笑)。外国語なら尚更です。ただ、この3本の柱を磨き続ければ、相手の立場になって物事を考え、自分の意見を様々な角度から見て、適切な文脈の中に置くこともできるはずです。軸がしっかりしていさえすれば、その幹は様々な人たちとの「対話」を通じてどんどん太くなっていくでしょう。この「ika.異化」プロジェクトがその一助となれば幸いです。